まだ肌寒さの残る2014年5月2日早朝5時、
私は知る人ぞ知る西武国分寺線鷹の台駅にて始発列車を待っていた。
連休前最後の平日だからか、行き交う人々は皆どこか落ち着かない。
私はというと、大きなリュックとキャスターバッグ、それに一眼レフとビデオカメラを携え、
通勤・通学の人々の中で一足早く迎えた休暇に一人ほくそ笑んでいた。
5時10分、定刻通り鷹の台を発ち国分寺に向かう。
国分寺で西武線に別れを告げ、いよいよここから長い長いJR線の旅が始まる。
10分間の待ち合わせの後、中央線(各停)で新宿へ向かう。
快速でない中央線は異様に殺伐としており、異国さながらの空気感がある。
3年以上も東京で暮らせばそれにも慣れるもので、この区間は仮眠をとることにした。
5時56分、新宿駅に到着。珍しく人影が少ない。
見知った場所がいつもと違う雰囲気を醸し出すと、どこか寂寥感を覚えてしまい、
拙速に仕上げた行程表で上手くいくのかちょっぴり不安になってきた。
そうは言っても続けるほかないので埼京線に乗り換え赤羽に向かう。
赤羽では20分程時間があるため、コンビニで朝食を調達する。
ホームでおにぎりを頬張りつつ電車を待つ。
6時58分、宇都宮線快速ラビット号に乗り込む。
帰郷のため何度も利用したこの電車で宇都宮まで向かう。
慣れた路線でも旅となると風景が違って見えるから面白い。
8時18分、宇都宮駅到着。久しぶりだったがゆっくりしてはいられない。
乗り換え時間はたったの2分。
電車を降りると即座に東北本線黒磯行きの電車に乗り込んだ。
以前間違えて岡本駅まで行ってしまったことを除けば、宇都宮以北に向かうのは初めてである。
いよいよ旅情は高まる——。
県都・宇都宮を抜けると、そこは絵に描いたような田舎であった。
これでもかというくらいの田園風景、山、鉄塔の数々。
溢れ出る地元感。やはり都会の喧噪よりもこちらの方が落ち着く。
黒磯駅で再び乗り換え。
改札近くには旧いサボで作られたオブジェがあった。
乗り換え待ちおよそ30分、9時38分黒磯駅を発った。
黒磯駅は栃木県北部最後の要衝である。
ここから東北と言っても過言ではない。
県境になるにつれ山がちになっていくのが妙に淋しい。
さらば関東。
ここら辺は5月だというのにまだ桜が咲いている。
北に向かっていることを嫌でも実感させられる。
切ない気分になったのも束の間、ここでアクシデントが発生した。
謎のトラブルによる緊急停止である。
参った。
今回の旅はかなりタイトな日程であるため、終始時間に余裕がない。
現時点で郡山到着予定時刻の10時39分を回っている。
11時6分発福島行きを逃すとその後が大変なことになる。
ヤバい。
郡山駅までのあと数百メートルが遠い。
涼しい顔を装いつつ内心焦りまくっていたが、なんとか11時ちょうどに到着した。
ホントは駅で色々写真を撮りたかったがそんなことしてる場合ではなかった。
マジパネェッス。
11時54分、今度は定刻通りに福島駅に着いた。
次の仙台行きは13時であるため、ここでようやく余裕ができる。
売店で駅弁でも買ってゆっくりしようと考えた。
だがしかしここで福島の洗礼を受けることになる。
駅構内に全く売店がないのだ。
おいちょ、待てよ。
一時間以上の待ちがあるのに飲まず食わずは体に悪い。
私は生来の人見知りであったが、背に腹は代えられない。
意を決して改札に行き、本来このきっぷでは不可とされている途中下車ができないか聞いてみた。
改札のお姉さん、優しいお姉さん。
眩しいほどの笑顔で「いいですよ」って。
もう死んでもいい。嘘だけど。
その駅員さんにめっちゃ感謝して降り立ったうつくしま福島。
何 も な い 。
駅弁屋は?駅ビルは?
曲がりなりにも県庁所在地の駅だろ!とか毒づいてみたところで目の前に売り子が現れるわけでもない。
30分近く歩き回ってみたが周囲にそれらしきものもない。
名物をふんだんに使った駅弁を食べたかったが、このまま何も食べられなくなるよりは、
ということでフツーのお弁当をフツーのお弁当屋さんで買った。
「(とりの竜田揚)おすすめ弁当」は結構美味かったので満足。単純!!
さてここから仙台シティラビット5号に乗って一気に東北最大の都市・仙台へ向かう。
単調な東北本線の旅もこのようなアクセントがあると途端に昂揚感が増す。
だが麗らかな陽気と睡眠不足で仙台駅まで寝てしまったから増したところで、よ。
それまでの車両は全てロングシートだったためずっと立って風景を見ており、
一方この車両はボックスシートで異様に心地よかったというのも私を熟睡させた要因である。
仙台駅には定刻通り14時13分に到着した。
さて、ここで小牛田行きに乗り換えるのだが、折角なのでちょっとした遊びを取り入れた。
私は現在鉄道路線の完乗を目論んでいるのだが、財もなければ時間もないため、
一度で多くの路線に乗った方が効率が良いのである。
一番面倒なのが支線だったり盲腸線だったりするわけだ。
この東北本線にも利府支線というものが存在する。
たった3駅のために乗り換えてまた引き返すというのもバカみたいだが、
実際鉄道に浮かされているバカなのだからしょうがない。
しかも小牛田まで直行して待ち合わせても、利府まで行ってまた戻って小牛田に行っても、
どうせ同じ時刻に小牛田を発つことになる。
これは最早私に行けという天の啓示でありそのためのダイヤ編成なのだ。
そんなこんなで岩切から利府、利府から岩切、岩切から小牛田と、利府支線を完乗した。
15時35分、小牛田駅から一ノ関駅へ向かう。
この区間もフツーの田舎なのだが、トンネルが実に多く面白い。
トンネルを抜けるとそこはやっぱり田舎であった。
16時23分、一ノ関駅に到着。
一ノ関では巨大なピカチュウのオブジェが出迎えてくれた。
流石にここも活気がある。
駅スタンプをしっかり押して東北本線最後の乗り換えを行う。
一ノ関駅から終着盛岡駅に至るまでで辺りは暮色蒼然としてきており、
つまるところもう一日が終わろうとしており、我が肉体の疲労もピークに達してきた。
飽きるほど見てきた田園風景の中に漂う雲間からは天使の梯子が降りてきており、
その様子は酷使した肉体を労うかのように穏やかなものであった。
それを見て安心したのか再び船を漕いでしまった。
定刻通り18時7分に盛岡駅に着いたらしい。
ここから先はIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道と二つの三セクを乗り継がねばならない。
地方の三セク路線はというと、本数が少ないのが常であり、一本逃すとシャレにならないことになる。
いわて銀河鉄道の発車予定時刻は18時15分。
JRの改札を出ていわて銀河鉄道に乗り換えるには少々シビアな猶予である。
私は走った。一目散に走った。
だが流石は盛岡。溢れんばかりの人々の並でそもそもJRの改札から出られない。
頑張れ私。
やっと改札を抜けたときには18時12分であった。
残り3分。
まだ行ける!
走れ!
頑張れ私!
迷った。
案内板を頼りに走ってきたのだが、いつの間にか駅舎の外に出てしまっていた。
立派に掲げられた盛岡駅の表示を眺めつつ行ってしまった列車に思いを馳せた。
仕方がないので落ち着いていわて銀河鉄道の窓口を探してみると、思いの外簡単に見つかった。
灯台もと暗しとはこのことである。
次の列車の時刻を調べてみると、あるにはあるのだが、どう頑張っても青森までしか辿りつけない。
この日の目的地は蟹田であるため、青森までしか行けないのはアウトである。
どうする俺!?どうするよ!?
ライフカードのCMさながらに考えを巡らせるが、「無理」しか出てこない。
実は代替案がなかったわけではない。
計画の段階でもどうするか悩んでいたもう一つの選択肢。
だがこれはちょっと自分ルール的に反則ではないかと思い、断念した方なのだ。
今となってはきちんと調べておいた自分が誇らしい。
そう、その方法とは、
東 北 新 幹 線
である。
これならどうにか終電で蟹田まで行くことができる。
本当は少々高くついてでも二つの三セクを乗り継ぎたかった。
全てはこんな無謀なプランニングをした自分のせいなのだ。
後ろ髪を引かれつつみどりの窓口で特急券を購入し、あとは乗るだけとなった。
幸いなことに発車までは少々時間ができた。
どうせ新幹線に乗るのだから、少し贅沢をしよう。
そう思った私は今度こそと、駅弁を購入した。
19時2分、はやて369号は盛岡駅を発ち新青森駅へと向かった。
北へ帰る人の群れは誰も無口で、というかそもそも乗車人数が少なかったため、
自由席にも関わらず広くスペースをとることができた。
先ほど買った豪華な牛めしとビール(発泡酒・第三のビールでない)はこの上なく至高であった。
シートに身を委ねていると身体の芯から疲れがどっと押し寄せてきた。
一時間ほど快適に過ごし、19時59分、新青森駅に到着した。
さてここから蟹田駅までは10駅ほどなのだが、それがまた遠いのである。
一度奥羽本線で青森駅まで行き、そこで今度は津軽線に乗り換えねばならない。
そこまで大変ではないとお思いになる方もいらっしゃるだろうが、
田舎で乗り換えるということがどれだけ骨の折れることか一度体験してみるといい。
みちのくというのは陸の奥と書くのである。
そんなところの鉄道路線に本数があるわけはないし、駅舎も簡便なものが多い。
何もない中でただ待つというのは結構しんどい。
実際、新青森駅では一駅先の青森駅まで行くのにおよそ一時間、
その青森駅では津軽線が来るまで一時間半の待ち時間があった。
さて、新青森駅は最近話題になったはやぶさも停まる大きく綺麗な駅なのだが、
異様に閑散としており、駅の規模とのギャップが地方都市の実情を物語っていた。
続く青森駅は一転して古き良き雰囲気がありありと残っていた。
季節は春だが、どこか冬のようなもの淋しさがある。
列車待ちをしていると入線してくる寝台特急・トワイライトエクスプレスと鉢合わせした。
思いがけぬ出会いに折れかけていた心が回復した。
窓から見える乗客の楽しそうな姿が印象的であった。
この旅の復路では自分も寝台特急・北斗星を用いる。
笑って帰ることはできるのか。このときから楽しみだった。
お目当ての津軽線は22時23分頃入線してきた。
レトロなボデーがこれまた素敵である。
同じくホームで待っていた数人と一緒に乗り込んだ列車は22時34分に青森駅を出発した。
津軽線沿線は全くといっていいほど電灯がなく、車窓から見えるのはただ一面に広がる闇だけだった。
津軽線の駅名標は海へと向かうだけあって、それっぽいデザインがなされていた。
折角の心遣いもこう薄暗くては逆にそこはかとない恐怖感を覚えさせる。
果たして本当に蟹田には着くのか。
自分はなにか異次元の狭間にでもいるのではないか。
そんな突拍子もないことも頭に浮かんでくる。
限界だった。
津軽線に揺られること約一時間。
長かった初日もついに終わりを迎えた。
23時28分、蟹田駅に辿り着いた。
一応記念に駅名標を写真に収めた。
駅舎を抜けようとし、改札へ向かうとちょうど駅長さんが駅舎の鍵を閉めたところであった。
終電後ちんたら残っていてごめんなさい。
ただ、私の憔悴しきった表情と大きな荷物を見た駅長さんは快い笑顔で
再び鍵を開け私を通して下さった。
肌寒い空気の中でそのお気遣いが温かかった。
蟹田駅前も例に漏れず真っ暗であり、ここからさらに宿まで歩かねばならないのが辛い。
この日の宿は前日に電話した旅館である。
もう日をまたぎそうになっている時間だが、宿の方は起きていらっしゃるだろうか…。
重い足を引きずりながら800メートルほど歩いたところにその宿はあった。
鍵は開いているが…。
おそるおそる声をかけてみると、奥から60-70代くらいの女将さんが出てきた。
開口一番、東京から鈍行を乗り継いできた私を労ってくださった。
またしても人の温もりを感じた瞬間であった。
部屋に荷物を置き、すぐさま風呂を頂いた。
疲労困憊だった私は髪を乾かすことも忘れ、蒲団に潜り込んだ。
明日はいよいよ江差線である。
少しでも体力を回復させ、明日に備えねばならない。
深夜1時、私は長かった一日を惜しむ間もなく、明かりを落とした。