29駅目 鹿賀
鹿賀駅。霧が出ている。
道返し。
列車に揺られること約1時間。明るくなってきたところで鹿賀に降り立つ。盆地の集落といったところに位置しているようで、周囲は山に囲まれているものの開けている印象。とはいえ駅前に店舗などはないので、特段賑わっているわけではない。
駅の沿革。当時の起点は「石見江津」。
カラスよけのCDが…。
駅に掲げられた沿革によるとここは請願駅であることが窺える。カラスよけのCDがつるされていたりと、地域住民にとって重要な駅だということは想像に難くない。この日も、中学生くらいの女の子が待合室にやってきて、見ず知らずの旅人である私に挨拶してくれた。本当はこの女の子に色々と話を聞きたかったが、多分不審者メールで流されてしまう事案になるのでやめておいた。賢明。
手前に前日歩いた県道が見える。
車窓から臨む江の川。
0717、こんだ江津行に乗り込んで江津本町駅へ。前日徒歩で到達したが列車を利用していないため、きちんと降りなくてはならないのであった。
30駅目 江津本町
江津本町駅。夜とは違った表情を見せている。
恵比須。
江の川の目の前だったのか。
トンネルを抜けて江津へ。俺はまたしても歩き。
あんなに必死こいて歩いてきた江津本町も列車なら一瞬で到達できる。改めて鉄道の偉大さを感じる。感動。さ、ここからまた徒歩で江津に向かう。前日暗い中歩いた道だし距離も1.4キロと短いので、お茶の子さいさいである。
これ生活道路なのかな…?
江の川に架かる橋。
路地裏を通って江津駅へ。雰囲気あるなぁ。
日中の江津駅。
この時間帯になってようやく窓口も空いたので入鋏や駅スタンプ押印などを済ませ、ブラブラしてると何やら大きなザックを背負った人に「行軍お疲れ様でした」と声を掛けられる。あれ? こんな知り合いいたかなって顔をしていると、「昨日から見てましたよ〜。全駅下車大変ですね」とのこと。わーお、まさかこんなところを見られていたとは。この方とはまた出くわすことになるが、これはまた後ほど。
さて、現在時刻は0830。三江線の次発は1234で4時間も空きがある。ほんなら行きたいところがあるで俺には。
EXTRA STAGE 出雲大社
江津から山陰本線で出雲市駅へ。
出雲市駅。
一畑電車に乗り換える。
電鉄出雲市駅。平日だというのに結構利用客は多い。
0849江津発の快速アクアライナー号に乗って出雲市駅へ。やっぱり島根に来たら行っておきたいのは出雲大社だよね〜ということで人生二度目の参詣に行く。一畑電車に乗るのも二度目だけどやっぱりわくわくする。
川跡駅で乗り換え。
出雲大社前駅が見えてきました。
出雲大社前駅。手書き看板がいい味。
駅の改札はこんな感じ。
街なかにででんと建つ鳥居が見える。
4年ぶりの来訪に心が躍る。
川跡駅で乗り換え、出雲大社前駅へ。前日までの悪天候が嘘のように回復し、気分は晴れやか。風情溢れる出雲の街の散策に繰り出すぞ〜。でもその前に観光地にしてはリーズナブルな感じの三色割子出雲そばで腹ごしらえ。うん、つるつるっとイケる。
4段のお椀が来た。
薬味の段をよけると天かすそば。
続いて紅葉おろし。
最後はとろろでどれもンマイ。
お腹がいっぱいになったところで。お待ちかね、出雲大社の境内へ。平日だというのに大勢の参拝者が訪れていた。私同様お一人様も結構いたが、やっぱり縁結びの御利益があるということだけあってカッポーも多数いやがりました。しっかり良縁を祈願してきましたよ。
有名な大注連縄。
晴れていて散策には丁度いい。
ハトが水浴びしてる!! んがわええ!!
石像のウサギに誰かが松ぼっくりのお供え。
色々と写真も撮れたし大満足で出雲大社を辞する。次は一人じゃないといいなぁ。
満喫したし帰ります。
しまねっこがちんと座っていた。
山陰本線から見える日本海。
江津に戻ってきた。また三江線の旅に戻る。
江津に戻って1515発の三江線に乗り換え。すると、視界の端になんか見覚えのある人がいるような…。降り鉄のパイオニアであるあの人では…? 六角さんとは話せなかったけどこの人なら応じてくれるかも…。
意を決して話しかけてみる。
「あの、違ってたらスミマセン…」
「違ってないです」
話が早くて助かる。というわけで、
北海道の旅では駅ノートで見かけた人からサインを頂きました。
プライベートで、そのうえ車内にもかかわらず快く応じてくださった横見浩彦さんに感謝。この方の偉業を目指して俺もまずは残りの駅を降り潰さねば。続いての駅は川戸駅。
31駅目 川戸
川戸駅。
鈴鹿山。使われていない反対ホームにしかなかった。
待合室の雰囲気は完璧。
外観はこんな感じ。
1545、川戸着。かつて三江線が全通する前、三江北線だった駅は全体的に立派な駅舎が残っているように思う。この川戸駅もその一つで、その風情を満喫していたいのだが実はここでもタクシーを呼んでしまっていたのだ。次の川平駅とは7キロ以上離れているのに、猶予が1時間しかないので歩いてはいられないから仕方ない。
32駅目 川平
川平駅。タクシーで到着。
大江山。
歩くと2時間近くかかる道もタクシーなら数分で着く。しかも呼べば来るんだから超便利。そら廃線になるわ。いやいや、今はタクシーのありがたみに感謝している場合でなく、いずれ三江線からは摂取できなくなる鉄分を大いに取っておかなければならないのだ。
こちらも川戸同様完璧な待合室。
陽射しがまたいい仕事してますね。
ホーム側。人の気配はない。
運転電話ってまだ使えるのだろうか。
平日の夕刻、山あいの駅は深閑としている。このような中一人佇んでいると、仏教徒じゃなくても諸行無常を強く覚える。廃線になったらこの駅はどうなってしまうのだろう。取り壊されてしまうのだろうか、それとも何かに活用されるのだろうか。いずれにしてもこの駅が「駅」でいられるのはあと僅かである。
時間通りやってきました。
か、貸切…。
橋の上で脱線したら真っ逆さまだな…。
日が傾き始めた。
1649、川平を発つ。乗り込んだ列車に人の姿はなく、私の貸切状態。流石に衝撃を覚えたが、これが本来の姿なのだろう。暮れゆく大自然を眺めながら浜原に着くまでの約2時間を一人寂しく過ごす。
再訪・浜原駅。三江線全通記念碑がここにも。
上下線が並んだ。
浜原では1901の三次行終列車に乗って、作木口駅を目指す。
33駅目 作木口
作木口駅。やはり暗い。
胴の口。
時刻は20時前。だけどやっぱり真っ暗け。本当にこの近くに宿はあるのか…?
バス停があった。どれどれ…。
1日1本どころか週に1本!! 凄まじい…。
冥府への入口のような…。
2ch(5ch)の異世界スレみたいな。
隠しダンジョンかよ。
もうどこにボスが現れてもおかしくないレベル。いやいや俺もここ数日で経験値がかなり溜まった。いつでもなんでも出てこいってんだ。っていうか宿が出てこい。
看板が見えてきた。
あったあった。
江の川からちょっと歩いた支流の近くに本日のお宿、滝見家がありました。寒い中歩いてきた私を見かねて女将さんはすぐご飯を用意してくれました。
やっぱりこういうお宿のご飯は何から何まで素晴らしい。一部屋丸々お借りして悠々と平らげる。長かった旅も残るは2駅。計画通り行けば翌朝、三江線を制覇することができる。昂ぶる気持ちを抑えつつ床に就いた。
いつもよりゆっくり歩いていく。
三毛猫がじっとこちらを見ていた。
始発を待つ。
この日は少々ガスっている。
10月18日。作木口は途中駅のため始発列車は0648。いつもよりゆとりを持って出発できるのがうれしいが、最終日だというのに天気が優れないのが残念。
この日は三次の2つ手前の粟屋で降り、その後、徒歩で三次の1つ手前の尾関山まで行く。尾関山で列車を捕まえて三次へ向かうという行程だ。
34駅目 粟屋
粟屋駅。
曽我兄弟。
やっぱり地元の方にとっては寂しいもんだよなぁ。
駅に至る道には手作り風看板も。
粟屋に到着。ここでは江津で声を掛けてくれた方が同時に列車を降りた。なんでも彼は神奈川から三江線を守ろうと度々訪れているらしく、その思いの丈には頭が下がる。11月にまた来て下さいって言われたけど行けませんでした。
さぁ三江線全駅の旅もあと1駅を残すだけとなりました。ここからスパートですよスパート。
だからいちいち道が細いんだって。
こんなに近くをレールが通っている。
尾関の地名が出てきた。あとちょっとかな。
こんな注意書き初めて見た。
行程は約4キロ。2時間ほどの余裕があるので朝のお散歩だ。尾関山駅は比較的三次市の街なかにあるようで、近づくにつれ犬を連れて散歩している人など徐々に活気が増えてきた。ゴールは近い。
35駅目 尾関山
尾関山駅。着いた…。
紅葉狩。
この駅も丁度いい感じの待合室。
これまでの想いをノートに。感動もひとしお。
0840、約1時間の行軍の末、最後の駅・尾関山に着いた!!
な、長かった…。実に4日間、三次と江津の間を行ったり来たり…。途中運も味方に付き、なんとか生きて最後の駅に到達できた…。0918に入ってくる列車に乗って三次に行けば全駅達成です。時間ギリギリになって神奈川の人も歩いてやってきたようで、一緒に列車に乗り込む。
どんな路線でも廃止されるのは寂しい。それはそこに息づく
人々の想いがともになくなってしまうからだ。少子高齢化、過疎化が進む現代において、地方路線というのは風前の灯であることに間違いない。現在、三江線は廃線前の特需が続いているようだが、廃止が決まる前にこの賑わいがあれば結果は違っていたかもしれない。私も廃止が決まってから乗りに行った一人だから何とも言えないが、第二第三の三江線が生まれてしまわないように出来る限り鉄道を応援していきたい。
そして今回の旅では多くの人との出会いがあった。どこの輩とも知れぬ旅人に与えてくれた人々の優しさは、
鉄道がつないでくれた出会いがもたらしたもの。これを書いている段階で廃止まで20日ほどであるが、廃線になってしまってもまたこの地を訪れることができればいいな。そんなことを思わせる、素晴らしい旅であった。ありがとう三江線。さようなら三江線。
願わくば出雲大社の御利益がプライベートにももたらされますように。
2018年3月13日