札沼線末端区間全駅下車へ

 怒濤のドライブデーを終えて、この日は割とゆっくりめの起床、そして朝食。朝からジンギスカンだよ。札沼線廃止予定区間のうち、新十津川を除く15駅に行くというこれまた過酷な旅路が待っているからスタミナ付けにはちょうどいいのかもしれないが。

 さてさて、ご存じない方のために一応説明しておくと、札沼線の末端も末端、浦臼〜新十津川間は一日一往復しかないので上りだろうが下りだろうが常に終列車(新十津川に至っては上りの1本のみ!! うへぇ。)、逃したら翌日という、廃止必至、むしろ令和の時代までよく維持できたと賞賛に値する区間だ。この区間に駅は6つあり、既に降りている新十津川以外の5駅全てに降りたい。私的下車ルールとして「かならず鉄道に乗るか降りるかしないといけない」というのがあるので、一往復じゃ全駅は無理だろうと思われるかもしれない。だが不可能ではないのだよ。下図を見てほしい。

行程表


 ご覧の通り、交通手段を工夫することで一見不可能なことも可能になってしまうのだ。

 順に見ていくと、新十津川は過去に下車しているのでスルーして残りは5駅。まずは於札内にバスで行き、札沼線の下りに乗る。残りは4駅。下徳富で降りて3駅。下徳富から約2.5キロ離れた南下徳富まで歩く。そして折り返してきた札沼線の上りに乗って残り2駅。鶴沼で降りて残すは浦臼。浦臼はどうしても列車でいけないじゃないかと思われるかもしれないが、浦臼以南は一日に複数本列車が出ているため、とりあえず歩いて浦臼まで到達し、そこから上り列車に乗れば問題ない。我ながら素晴らしい計画だ。ジンギスカンをかっ込んで早速バスに乗り込もうじゃないか。


朝食
ジンギスカンととろろで精をつける
ホテル
明るくなってようやくホテルの外観を知った


財布の中にお札ない

 0815時、通学の中高生らでにぎわう滝川駅のバス乗り場で北海道中央バスの滝川浦臼線に乗り込む。この方面はあんまり利用者もいないようで、ほぼ貸し切り状態だった。約30分、のどかな田園風景の中を通る国道275号を進み、果たしてバスは於札内停留場にたどり着いた。


バス
滝川周辺はまだ街並みが広がる
バス
新十津川あたりに来るとこんな感じ
於札内
於札内停留所で下車
於札内駅
於札内駅に向かって歩く


 国道から西へ延びる細い小道が於札内駅へと続く。滅多に列車の来ない踏切にもきちんと標識が立てられ、注意を促している。ただ、駅の入口を示すような標識は一切なく、もはや駅としての役割はほぼ求められていないのだろう。だが、だからこそ、美しくもある。滅多に人が来ることはないが、ただそこに佇み、1日に2度列車を見送る。徐々に朽ちていくのを感じるも、建て直されるわけでもなく、最後の秋を過ごしている。かつて人の栄華があったことを偲ばせるのが、こうした駅なのだ。消えゆく寂しさの中、錆に錆びて茶色くなってしまった駅名標を、私は、見知らぬおじさんと一緒に眺める。いや、おじさんおったんかーい。


於札内駅
田園地帯にぽつんと佇む於札内駅
於札内駅
朝の陽光によく映えている
於札内駅
この駅名標、控えめに言って最高じゃないですか?
新十津川駅
おじさんおったんかーい


 続いて下徳っぷぁあ!!? 思わずびっくりしたのはその乗車率で、なんとほぼ満席。ええっ平日ですよ? まだ半年以上あるというのに一足早い廃線特需ですか。常にこれくらい乗っていれば廃線にはならないのに、廃線にならないと乗りに来ないジレンマ。仕方がないので運転席近くに立って車窓を眺める。於札内で一緒だったおじさんは南下徳富で降りていった。車内の乗客はその様子を不思議そうに見つめ、下徳富で降りる私のこともやっぱり奇特な人を見るかのような目を向けてきた。ふふん、君たちはとりあえず終点まで行ければいいんでしょうけど、私は全駅下車です。あなたと違うんですと、ほくそ笑んでいたら、同じく下徳富で降りる同業者がいた。ほう…。


札沼線
満員だったので車両前方に位置取った
下徳富駅
ここでも降りる人おるんかーい
下徳富駅
ホーム側から見た下徳富駅
下徳富駅
ホーローの駅名標がいい味出してる


浦臼と羅臼は紛らわしいから気をつけろ

 0921時、下徳富に降り立ったら、暖かみのある木造駅舎の余韻に浸る間もなく、南下徳富へ向かって、1010時発の上り列車に乗らねばならない。Google先生によると徒歩約30分。トラブルさえなければ問題なく間に合う時間だ。



 これまたのどかな田園地帯に伸びる一本道を両足でしかと踏みしめ歩いて行く。一本東には先ほどの国道が並行しているため、こちらの道は全くといっていいほど車も来ない。いるといえば、札沼線を撮るためにスタンバっている撮り鉄の方々。ほどなくして仮乗降場のような板張り駅の南下徳富が見えてきた。先ほど降りたおじさんはホームにいたが、私が写真を撮っていると親切にどいてくれた。ありがとうおじさん。ところで、この駅は撮り鉄が3人くらい遠くから狙っていたし、乗り鉄もあとから1人やってきた。南下徳富に何があるというのです?


道
南下徳富へ向かって歩いていく
南下徳富駅
まるで仮乗降場だ
南下徳富駅
掲示板の中に駅ノートがあった
南下徳富駅
これが南下徳富の最終列車

 1010時、予定通りやってきた終列車で鶴沼駅へ向かう。やっぱり車内には先ほど同様大勢の乗客で賑わっている。「あれ、こいつ下徳富で降りてなかった?」っていう目線も気にせず、やっぱり鶴沼とかいう訳分からないところで降りていく奇っ怪な私なのであった。駅はプレハブの待合室が一つ。その待合室には「いい表情(かお)してる 人も、駅も」とかいう90年代のポップカルチャーみたいなキャッチコピーが貼ってあった。なかなか世知辛い世の中だけどいい表情(かお)でいたいもんだね。ほら、たんぽぽも笑っているよ。たんぽぽ…? 9月に…???


鶴沼駅
鶴沼駅で終列車を見送る
鶴沼駅
ここも待合室があるだけのシンプルな駅だ
鶴沼駅
いい表情とかいて「いいかお」と読ませるバブル感
鶴沼駅
いい表情したたんぽぽ


 さて、ここから先は浦臼まで徒歩である。その後、浦臼から先は石狩月形が一つの要衝となるので、この2駅の間を行ったり来たりする予定だ。現在時刻は1030時ごろ。浦臼では1321時の列車を捕まえればいいのでのんびり歩こう。

行程表


 ちなみに、浦臼から豊ヶ岡で降りれば歩かずに済むと思われるかもしれないが、石狩月形駅前にある商店で買い物をするという用事があるため日中早い時間に行かなければならないのだ。全て織り込み済みよ。



 とにもかくにもまずは浦臼駅にたどり着かねばならない。道のりは約4キロ50分。ところでこの駅間を歩くのは実はちゃんと理由があって、それは途中のうらうす温泉で浦臼駅のご当地入場券を取り扱っているからだ。道を挟んだ向かいには道の駅もあるし、ちょっとした憩いの場所ですな。温泉に浸かりたかったけど入ったらもう二度と歩けなくなる気がしたので今回は我慢だ。


廃校
廃校になった小学校
うらうす温泉
ご当地入場券を売るうらうす温泉
臼子ねえさん
浦臼町のマスコット、これでいいのか
浦臼神社
神社の境内に線路が通っている


 浦臼は流石に下徳富あたりよりは開けているようで、車も結構私の横を走り去っていった。汗だくになりながら歩いていると、民家の壁にこんな看板が掲げられていた。

看板


 お礼まいり こわくはないぞ 110番

 こえーよ。何をやらかしたんだこの商店は…。北海道じゃこれが普通なのか…?

 列車の時刻まで1時間以上残し、浦臼駅前にたどり着いた。いい加減おなかが空いたので何か食べたいところであったがその前に、町役場へ行く。浦臼も無人駅であるが割と最近できたという駅スタンプが役場に設置されているというのだ。入ってすぐの場所に置かれており、特に断りを入れることなく誰でも押せるようになっていた。こうやって自治体や地域の人たちが鉄道文化を支えてくれるのは嬉しいことだと思う。役場には食事処のマップも掲示されており、せっかくなのでそこに載っていたおそば屋さんでランチにすることにした。浦臼町は牡丹そばというそばが有名なそばどころらしく、確かに風味豊かで味わい深い一品だった。この旅で初めてのちゃんとした食事だ…。


浦臼町役場
浦臼町役場
浦臼町役場
役場の1階に駅スタンプ
浦臼駅
上のスタンプは道の駅に
牡丹そば
牡丹そばは実に美味かった

わがまちご当地入場券
わがまちご当地入場券浦臼駅(57枚目)


豊ヶ岡・死の行軍

  珍しくのんびり昼食を満喫したが、それでも1321時まではゆとりがあるのでじっくり駅の雰囲気を味わえる。時間に追われないって最高。


浦臼駅
浦臼駅。左側の部分が待合室
浦臼駅
手書きの駅名標も
浦臼駅
浦臼駅の中には歯科診療所が
浦臼駅
浦臼から石狩月形へ


  浦臼の次は石狩月形。末端区間にしては驚きの社員配置駅。Wikipedia先生によると、スタフ閉塞の運転業務を行うため、と書いてある。へぇ。ということで、みどりの窓口はないがご当地入場券もここで発売している。券面デザインはお隣、豊ヶ岡駅。あえて秘境駅を選ぶ辺り月形町はツウだねぇ。そんな石狩月形駅、2016年にもバカ停のタイミングで降りたことがあったが、改めて見ると古き良き時代の面影が随所に残る素晴らしい空間だったことが分かる。


石狩月形駅
石狩月形に到着
石狩月形駅
木製の案内板がステキ
石狩月形駅
ホーム側から見た駅舎
石狩月形駅
もちろん電光掲示板などない
石狩月形駅
待合室も最高
石狩月形駅
いい味出してるよなぁ


  そして、日中の石狩月形訪問の大きな理由は前述の通り、駅前商店である。こちらでもご当地入場券が発売されているほか、豊ヶ岡駅のスタンプがあるという。前日の寺子屋よろしく、こちらも女性の方がお店に立たれており、やっぱり旅人の私に親切に対応してくださった。沿線の方々はとても親切なのにもう鉄道で行けないのが残念でならない。廃線後もお店はあるのだろうから、ぜひ廃線巡りの同志は立ち寄ってみてほしい。ところで、こちらで発売するご当地入場券は〇簡マークが入るぞ!!


ゆづき
コミュニティショップゆづき
石狩月形駅
ゆづきにあった豊ヶ岡のスタンプ

わがまちご当地入場券
わがまちご当地入場券石狩月形駅(58枚目)
わがまちご当地入場券
わがまちご当地入場券石狩月形駅(58-2枚目)


  さあ、この商店に立ち寄ったがために行軍することになってしまった。その距離驚愕の6.3キロ。時間にして約1時間20分。現在時刻は14時すぎで、豊ヶ岡発は1516時。アレ? これ間に合う? ちくしょう! 肝心なところで見誤りやがった。お前はいつもそうだ。誰もお前を愛さない。うるせぇよ、やるんだよ。やれやれ、浦臼でたんまりあった時間をこっちに回してほしいぜ。


道
さー豊ヶ岡までひとっ走りじゃ
標識
そんなポップな飛び出しってある?
ドライブイン
かつてはやっていたであろうドライブイン
道
豊ヶ岡までクソ遠い


  この日3本目の徒歩は期せずしてちょっとしたジョギングみたいになってしまった。9月とはいえまだ暑さの残る北海道の日差しを一身に受けながら必至に足を動かす。常にGoogleマップで距離と時間を確認しながら走るのだが、1キロくらい走ったと思いきやまだ300メートルくらいしか走ってなかったときの絶望感たるやこの上ない。みんな、日頃から運動しような! お兄さんとの約束…だ……(ここで息絶える、もとい息絶え絶えになる)。そんな感じで走っては歩き走っては歩きを繰り返し、ちょっとずつ巻いていく。すると…

豊ヶ岡駅


  あっ!!

豊ヶ岡駅


  ああっ!!

豊ヶ岡駅


  えっ、駅じゃあ〜〜!!

 ようやっとたどり着いた豊ヶ岡駅。時計を確認すると15時を回ったところ。なんと、結果的に20分ほど縮めることができたのだった。ふふ、見ろ、誰もお前を愛さないなんて言わせないぞ。無事間に合わせることができて感動の余り泣きたいところだが、道中アップダウンが激しすぎてむしろゲロ吐きそう。


豊ヶ岡駅
木造の待合室が愛らしい豊ヶ岡駅
豊ヶ岡駅
中はおじいちゃんちの納屋みたいな感じ
豊ヶ岡駅
これ見て運賃確認した人がどれだけいることか
豊ヶ岡駅
板張りホームも実によい


  豊ヶ岡は大好物の木造待合室が大自然の中にぽつねんと佇む素晴らしい秘境駅だ。駅に通じる道は未舗装だし、一体誰が利用するのだろうか、というくらいに人の気配がない。はずなのだが、近くに跨線橋があり、そこが一つの撮影スポットとなってしまっているためやたらと撮り鉄が訪れていた。うーん、全くの無人という訳ではなさそうだ。ちなみに、かつてはこの周辺に月形炭鉱があって、住民がわざわざ駅の設置を要望するくらいに賑わっていたという。今や限界集落の様相を呈していて、切なさが募るばかりだ。



♬NAINAINAI 晩生内 NAINAINAI 札比内 NAINAINAI そして札的

  やっとの思いで豊ヶ丘で列車を捕まえたが、息つく暇もなく次の目的地である晩生内駅に滑り込んだ。ここでは40分待って折り返しの上り列車を捕まえ、隣の札比内駅に行くことになる。この二つの駅、単独で見ると取り立てておもしろみがないが、並べてみると実に興味深い。駅名が似ていることもさることながら…


晩生内駅
私は晩生内駅
札比内駅
そして私は札比内駅


  ご覧の通り、多少の差異はあるものの、ほぼ左右対称の形状をしているのだ。これまで様々な駅を巡ってきたが、これほどまでクリソツなのは見たことがない。これが見られるのも残りわずかか…。さて、札比内駅の待合室に書かれていて知ったのだが、駅前にあるという薬店で乗車券を委託販売しているという。お、これはと、行ってみると、奥からおじいさんが出てきてやっぱり親切に対応してくださった。発売するきっぷは札比内から豊ヶ岡というほぼ記念きっぷのようなものだが、聞けば一日に数枚、こうやってテツが来ては買っていくそうだ。ご当地入場券もいいけど、普通の乗車券もイイネ!!


渋谷薬房
札比内駅前の渋谷薬房さん
きっぷ
これ使用済みで回収されることあるのかな
札比内駅
札比内駅の待合室からホームに至るところに石で通路が作られていた
札比内駅
続いて札的へ


  陽が傾き始めた1641時、続いて向かうのは札的駅。ここでようやく10駅目、残すところ5駅となる。仮乗降場みたいなホームと、駅名標も掲げられていない待合室。これまでどこの駅でも誰か別の人がいたが、日が暮れてきたということもあってかついにこの駅で私一人だけ。


札的駅
札的もシンプルな駅だ
札的駅
待合室は意外と広い
札的駅
窓枠右下に鶏のフィギュアが
札的駅
ヘッドライトが点いた


  1733時、定刻通りやってきた列車は誰も乗っておらず、昼行性のテツたちはほぼ自分たちの巣に帰ったようだ。約20分ほど列車に揺られてこの日2度目の石狩月形へ向かう。


札沼線
はい貸し切り状態
夕日
涙が出てきそうな夕暮れ


中小屋は小屋じゃないんですか?

  この後の行程を確認しよう。


行程表



  札的から石狩月形までは鉄道。列車番号で言うと「5432D」。月形から先が「?」となっているのは計画の段階で決めあぐねている部分だったからだ。乗車している5432Dが石狩月形で24分ものバカ停をする。であればこの間に2.6キロ先の知来乙駅まで行き、再び5432Dを捕まえることができるはず。歩けば32分、走ればギリギリ間に合う。だがもう既に長距離行軍でHPゲージが赤くなったまま回復できてない私は結局タクシーを使うことに決めた。ふふん、時にワープも戦略よ。


石狩月形駅
石狩月形駅。夕暮れに佇むキハの美しさよ
石狩月形駅
駅には地元のおじいさんがいた



  流石、タクシーは一瞬だ。ものの5分ほどで知来乙駅に到着した。運転手さんに礼を言い、降り立った知来乙はまるで現世(うつしよ)から隔離された幻想の世界であるかのようであった。


知来乙駅



  カオナシとか出てきそう。こえーよ。闇に呑まれてなつみSTEPしちゃいそうだよ。てゆーかカオナシって昆虫の名前みたいだよね。ほんでちゃんと顔のあるカオナシが発見されたらカオアリカオナシって名付けられるみたいな。ア…ア、ァア……。

 一応駅の紹介をしておくと、札的同様駅名標も掲げられていない待合室があるシンプルな駅だった。そして1820時、バカ停を終えた5432Dが知来乙に滑り込んだ。


知来乙駅
知来乙駅の待合室
知来乙駅
うん、普通
知来乙駅
フラッシュたいてようやくまともに写ってくれる
知来乙駅
命の列車は光り輝いている


 続く本中小屋はこの旅初の車掌車駅だった。札沼線はどローカル路線なんだからもう少し車掌車駅があってもいいものだが。さて、駅ノートに書き込みを終え、いつものお時間がやってまいりました。そうです、徒歩です中小屋駅までの3.5キロを往きます。列車の時間まで1時間20分ほどあるので、余裕といえば余裕である。足はすこぶるしんどいけど。


本中小屋駅
車掌車駅の本中小屋
本中小屋駅
車掌車駅らしいたたずまい
本中小屋駅
普通の駅名標のほか…
本中小屋駅
漢字のみの駅名標があった



 ほの暗い国道275号を一人寂しく歩く。もう寂しいのにも慣れてしまったよ。途中、中小屋ってのはこれのことかな?というような小屋を発見してニヤつくなど、一人でも楽しめるのだ私は。列車まで30分の余裕を持って、1920時には中小屋駅にたどり着いた。


道
赤いよ〜怖いよ〜
小屋
中小屋ってこれのことかな?
中小屋駅
やっぱり車掌車駅だった中小屋
中小屋駅
本中小屋より椅子が少ない
中小屋駅
普通の駅名標と…
中小屋駅
やっぱりあった、漢字バージョン


 中小屋もやっぱり車掌車駅。小屋であってほしかった。ただ、中小屋の中にはなんと1996年の駅ノートが残っていて、ちゃんとした車掌車駅でよかったと思いました。年代物のノートを慎重にめくってみると、やはり時代を感じる芳醇な味わいだった。


中小屋駅
中小屋駅ノート。THIS IS NOTE
中小屋駅
企画列車のプリントが
中小屋駅
しかもJR北海道の職員自らが貼っていた
中小屋駅
これは怒れる人が書いた消費税導入反対のメッセージ


全駅下車作戦(オペレーション・降りるど)実行

 廃止区間全駅下車の旅もあと月ヶ岡石狩金沢を残すのみとなった。まずは1952時、中小屋から鉄路で月ヶ岡へと向かう。月ヶ岡駅は立派なログハウスというような待合室。残念ながら駅名標は見つけられなかった。日中に来たかったなぁ。


月ヶ岡駅
キャンプ地ではありません
月ヶ岡駅
待合室にしてはベンチが少ない
月ヶ岡駅
待合室なので時刻表などが掲示されている
月ヶ岡駅
最後の駅・石狩金沢へ


 あとは上り列車に乗り込み、石狩金沢駅で降りるばかりである。そして2027時、月ヶ岡駅に運命の列車がやってきた!!


/石狩金沢駅

2019年9月27日2043時
石狩金沢駅にて札沼線廃止区間全駅下車を達成!!


 勝利のときは来た!! この俺はあらゆる陰謀にも屈せず、己の信念を貫き、ついに最終聖戦(ラグナロック)を戦い抜いたのだ!!

 何度繰り返したか、もとい何度折り返したか分からない世界線、もとい札沼線を越え、世界をだました、もとい自分をだましだましやってきてついにこの境地に到達したのだ。


石狩金沢駅
最後の駅も車掌車駅
石狩金沢駅
ここも本中小屋・中小屋と同じようなレイアウト
石狩金沢駅
駅名標は…
石狩金沢駅
やっぱり漢字バージョンがある
 

 オカリンよろしく決めてみたがイマイチ決まらないのはなぜだろう。ああ、紅莉栖かわいいよ紅莉栖。さて、この上ない偉業を達成したはいいが、石狩金沢を出る上り列車はさっきのが最終であった。まだ20時台だというのに廃止区間だけあって切り上げるのも早い。んじゃどうするかって、やっぱり歩くしかない。普通に考えれば隣の北海道医療大学駅まで歩けばいいのだが、北海道医療大学は2016年に降りているし、ご当地入場券を買わなければならないので石狩当別駅まで歩かなければならない。つまりこういうことである。



行程表

 

 その距離5.7キロ、時間にして1時間10分。また5キロ超えだよ…。石狩当別では2147時に電車が出るから、入場券を買ったりスタンプを押したりすることを考えるとせめて2137時までには着きたい。え、今? 2050時。やれやれ、これも運命石の扉の選択か…。




石狩金沢・死の行軍


道

 

 石狩金沢駅の駅前通りがこれ。三江線の千金駅を思い出すぜ…。


石狩金沢駅

 

 振り返るとキュビズムの中の印象派といった感じの石狩金沢駅があった。一応下り線はまだあるけど、おそらく誰も使うことはないんだろうな…。終始真っ暗な名もなき道を突き進む。道中北海道医療大学の灯りがそこに人の営みがあることを感じさせたくらいで、あとはいつ人智を超えた何かに襲われてもおかしくないくらいの道だった。そして宣言通り2137時、命の石狩当別駅にたどり着いた。駅は地元の大学生たちで賑わっていて、彼らはこんな夜中に息を切らして汗だくでやってきた旅人に不審がる目線を送りつけていた。私はそんな彼らに絡まれないように窓口に直行してご当地入場券を購い、駅スタンプを押した。間に合った…。

石狩当別駅
命の石狩当別駅
石狩当別駅
石狩太美駅のスタンプもある

わがまちご当地入場券
わがまちご当地入場券石狩当別駅(59枚目)
 

 この日の宿泊地、札幌に着いたのは2230時。いやー長い一日だった…。こんなに疲れたのはいつぶりだろう…。翌日はなんと6時に出発しなければならないのに、カプセルホテルにしちまったのは痛恨の極み。失敗した失敗した失敗した…。と思ったけど割に綺麗だったし、駅近なのでヨシ!! せっかくの札幌なのにそれらしいこと何もしてないぜ!!

ホテル
駅近のカプセルホテル
夕食
あかりコンビニ弁当大好き